バイクに乗りたくなった。突然に。

バイクに乗りたくなった。突然に。

リターンライダーという言葉があるらしい。

日本二輪車普及安全協会によると

・40~50代を中心に静かなブームを呼んでいる「リターンライダー」とは、若い頃バイクに乗り、その後仕事や結婚などの理由で乗らなくなった人(乗れなく なった人)が、40~50代となり、再び手にした自由な時間にもう一度バイクに乗り始めること。専門誌発刊に始まり、リターンライダー向けのバイクやライ ディング講習会などもあり、単なるブームでは収まりきらない裾野の広がりを見せています。

だそうな。

わしは今年57才、もろ当てはまる。

10代から30才位までずっとバイクに乗ってた。

16才で原チャリ免許を取ってまずはHONDA MBX50に乗る。

HONDA MBX50

中卒で働いていたので自分で買った。バイクに乗ったことがなかったもんで、ギヤチェンジの仕方さえ判らずバイク屋から家まで帰る時ずーっとローギヤのままで「うぉーん!!」て甲高い音を発して走っていたら、お巡りに止められた^^。

恥ずかしい青春の1ページ w

 

このMBX車格が大きいもんで(ホイールベースは1255mm、ガソリンタンクは12L!)50ccバイクに見えない。

友達と2ケツしてコンビニに行ったとき(もちろん違反)たまたまお巡りがいて見られたけど、何にも言われずスルーだった友達は必死にナンバーを隠して焦ってた^^。

このころはスズキがRG50Γ,ヤマハがRZ50、カワサキがAR50と2ストスポーツモデルの全盛期だったと思う。初期型のMBX50は最大出力7.2馬力で最高時速90以上はでた。(スピードメーターも90km/表示だった!)

1983年9月、過激になっていく50ccスポーツモデル(俗にいうゼロハンスポーツ)社会的に問題視された結果、MBX50はじめ、他のメーカ50ccスポーツも最大出力は7.2psから出力を抑えるか、60km/h速度リミッターが装備されるようになった(60km/hに達すると失速する装置)。つまらない規制が入ったためこれ以降50ccスポーツの人気はがた落ちしていく。

 そして半年後位にわしはもっと大きいバイクに乗りたくて中型免許を取得。次に購入したのがHONDA VT250Fだった。

HONDA VT250F

250ccクラス世界初の水冷90度V型エンジンを搭載し、前輪に小径16インチホイールの採用や徹底した軽量設計などで俊敏な“走り”と軽快な“操縦性”が楽しめる高性能ロードスポーツ車として1982年05月に発売された。

価格は399000円。

1982年の大卒の初任給が127200円の時代だから結構高い。16才のわしがよく買えたなと今思う。

で、前輪に小径16インチホイールの採用した結果、この「軽快な“操縦性”」が曲者でコーナリングの時かなり内側に切れ込む。

バイクショップで受け取り家に帰る際、左曲がり角で車体を倒してコーナリングしたら、前輪が思いの外、内側に切れ込んだため転倒した。

(ヘタクソなので(^^i))

納車30分で、クラッチレバーが折れ、シフトペダルもひん曲がった(T_T)

暫く乗っていたがわしにはこのVT250Fは合わんなと思い次は400ccへおもいを馳せる。

CBX400Fに乗り換える

VT250Fを見限ったわしが次に買った400ccバイクはHONDA CBX400F

HONDA CBX400F

レッド&ホワイト ツートン

価格485,000円

やはりバイクのエンジンはマルチが良いね。エンジン音、エキゾーストノートが好き。

DOHCインラインフォー400

このころになるとすっかりHONDAフリークと化してしまっていた^^ライバルとなるのはカワサキZ400FX、ヤマハXJ400、スズキGSX400FだがすっかりCBX400Fの外観、リヤウインカーとテールランプの一体化したコンビネーションランプやエキゾーストパイプをX字型に交差させるCBX独自の配置、ブーメラン型スポーツコムスターホイール、フェーエルタンクのフォルムに惚れてしまった。

最近まで知らんかったけどこのCBX400F発売から40年以上経過した現在でも中古車市場で価格高騰が続くほどの人気、中古価格の相場が新車販売価格の6倍近い300万円前後、コンディションの良い車両だと700万円以上の値段がつく過熱ぶり。

ひゃー!売らずに保管しとけばよかったな。(むりだけとね)

運転中のバイクを強奪する事件まで起きている。旧車を持ってるオーナーは保管がたいへんだな。

 他のライバル車カワサキZ400FX、ヤマハXJ400、スズキGSX400Fも軒並み中古市場価格は高騰してる旧車ブームだ。

はじめてカスタムもした。

ハンドルは

トマゼリゴールドコマンダー

トマゼリゴールドコマンダー

TOMMASELLI(トマゼリ)イタリア製。

マフラーは

RPM(Racing Project Murashima)

RPM

バックステップ

当時トマゼリゴールドコマンダーのグリップオンハンドル、規制前のRPM管(いわいるP管、集合管)は公道を走れば勿論違反で白バイに目を付けられて逃げまわっていた。(それがまた楽しかったけど^^

P管のエキゾーストノートは心地良い。

ゴールドコマンダーは見た目がカッコいい。

グリップオンにしたらやはりバックステップでしよ。

バイクのパーツはほぼ、上野の「コーリン」で購入してた。かつて上野の昭和通りには沢山のバイクショップが並び、上野バイク街と呼ばれ週末には通りを埋め尽くす(通り沿いの店舗には当然駐輪場は無く皆、路駐)ほどのバイクが集まりお祭りのように賑わった。コーリンも倒産し、バイク街も衰退したとか。寂しいな。

1980年代 コーリン

1982年当時は、信じられないだろうが毎週末夜には船の科学館の前の公道とか。浦安の今東京ディズニーランド(開園は1983年4月)がある周辺の24時間進入禁止の埋め立て地の公道で車やバイクがわんさか集まってゼロヨン大会やレースが行われていた。膝に缶からをくくりつけて膝すって火花を散らして膝スリ小僧を、気取って遊んだ。警察が定期的に取り締まりに来るけどそのたびに蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げて暫くするとすぐに集まって再開した。あの頃が一番楽しかった気がする。

峠道にも通った奥多摩有料(今の奥多摩周遊道路大垂水峠とか

奥多摩有料はバイクの事故が続きその後確かバイク通行止めになったような記憶があるけど今はどうなってるのかな。

奥多摩周遊道路

大垂水は各コーナー毎にギャラリーがいて走るのに緊張した思い出が^^

大垂水峠

漫画 しげの秀一「バリバリ伝説」懐かしなあ。「必殺ガードレールキックターン!」←解る人おるかな^^

(C)しげの秀一/講談社

峠道の走り屋のことを警察は違法競走型暴走族というんだと

(わし暴走族だったんか・・初めて知ったわ^^)

この頃は各峠道で事故が多発したため、警察は取り締まりを強化した。それでも走り屋たちは毎週末峠に集ったので、その後警察は125cc以下の原動機付自転車は終日通行禁止、対策事故防止策として、反対車線を使用した運転を抑止するチャッターバーなどの施設やカーブに段差舗装がされたそうな

全く峠道がつまらなくなったもんだ。

その後わしは職業もバイクを使ったものに転職した。

バイク便だ。

続きはまた次回

じゃあ明日もやってこやってこ。

(let’s do it tomorrow too)

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